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『桜井久次郎編「大洲藩・新谷藩政編年史」年表』解題抜粋 [桜井久次郎]

1桜井久次郎氏の研究

 桜井久次郎氏は一九〇四年東京に生まれ、国學院大学高等師範部を卒業後、一九三一年教員として愛媛へ、そして一九四一年大洲高等女学校教諭となり大洲に赴任した。その後、大洲高校教頭や南宇和・宇和高校の校長、県立図書館・博物館館長を勤めている。一九七八年に東京に帰った後、一九八九年七月に八四歳で死去した。
 桜井氏は教員時代から旧大洲・新谷藩領内の自治体を中心に県内の史料精査・研究を行い、膨大な著作・研究ノートを残されている。「適雨紀要」全四号、『伊予大洲藩論叢』全一一巻、『勤王歌人巣内式部』などの著作をはじめ、『伊予史談』『愛媛の文化』の雑誌に多くの論考を投稿している。また『愛媛県編年史』の編纂や、『大洲市誌』『中島町誌』など多数の自治体誌の執筆・編纂にも携わった。その他、活字化されなかった研究ノート・史料集などは一括して一九八八年大洲市に寄贈され、現在「桜井文庫」として大洲市立図書館で公開されている。その中に本書の基礎となった「大洲藩・新谷藩政編年史」などがある。

2「大洲藩・新谷藩政編年史」について

 つぎに本書のもとになった桜井氏の「大洲藩・新谷藩政編年史」について解説したい。この著作は桜井氏本人が書かれているように「調べれば調べるほど、迷路ははてしなく続」(「しき石ひとつ」)き、桜井氏は生涯その編集・校訂を続け、出版の望みをもたれていたが未刊となった。その数量は「桜井文庫」の全体一二〇冊中の四分一にあたる三一冊を占め、紙数は全体の約六割にあたる四三四〇枚あり、文庫中最大の著作である。
 内容は「編年史」の名前の示す通り、大洲藩主加藤氏の大洲入部(一六一七年)から廃藩置県(一八七二年)までの二五六年間の編年史料集である。その形式は月日・項目・史料名・史料本文という順序である。それは『愛媛県編年史』の形式と同様である。
 本書は「大洲藩・新谷藩政編年史」に基づき、膨大な史料本文を除いた部分(月日・項目・史料名)を抜き出した年表形式のものである。これまで大洲藩・新谷藩に関する年表は、『大洲市誌』『物語藩史』『愛媛県史年表』『藩史大辞典』などがある。しかし綱文が約五〇〇〇件もある膨大な年表はなく、全国的にみても六万石の小藩でこれほどのものは皆無であろう。
 しかし本書は単なる「年表」とはいえない。「大洲藩・新谷藩政編年史」の目次であり、大洲藩・新谷藩関係の史料にはどのようなものがあるか一覧できる、史料一覧の役割を持つものといえる。桜井氏の膨大な業績には及ばないが、その業績に近づくための航路図になりうるものといえる。
(大洲史談会文化叢書1、2000年)

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