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地誌にみる近世大洲の歴史意識(2) 冨永彦三郎 [庄屋]

 『大洲新谷旧記集』 の著者冨永彦三郎は享保6(1721)年生まれ、寛政12(1800)年に死去し享年80歳である。喜多郡中居谷村の庄屋であった。他の記録には以下のように説明されている。

『大洲領庄屋由来書』「中居谷村」、
冨永彦三郎 幼名与次郎、実ハ七郎左衛門直道八男、大久喜村庄屋八郎右衛門子、元文、寛保、延享、寛延、宝暦、明和、安永年中勤役、苗字帯刀御免、其後御感状、御扶持かた被下候、幼年之節故有て御厚恩打重候事恐入、御願申上差上ル、御領中庄屋由来書差上候ニ付、御称美として御刀拝領仕候

『積塵邦語』四「中居谷村橘氏以前冨永」
  七代            同 彦三郎
実ハ先嘉右衛門(六代目)弟、大久喜本山八郎右衛門男被賞役功三人扶持被下置、山本加兵衛様御書付有之、下田渡後見為御称美御目録拝領、井口又八様御書付有之、名字御扶持相続、帯刀御免、安永七戌年、広善院様御家督御歓、三月十六日着府御歓申上、浅草御殿へも罷出申上候処、大殿様泰みち公御前へ罷出、朝枝又右衛門様御披露、何茂無事、一段被思召段蒙御意、御画二幅対御掛物拝領、御上包御書付迄御前被遊、誠以難有儀とも、彦三郎隠居、寛政十一年、西谷加左衛門様ヨリ御領中并新谷旧記改被仰付、同十二年書編調差上候、同十二月廿一日、嘉左衛門様御賞美御書付被下、御脇差拝領、其後菅田、下田渡後見被仰付

 元文から安永までの18世紀中後期庄屋を勤め、その後も各村の後見役となっている。寛政11(1799)年から寛政12年の2年間で 『大洲新谷旧記集』 はまとめられ、褒美として刀を拝領している。

中居谷


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